人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」

 (人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れてくれべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。)

 桶狭間の戦いの折、今川軍が鷲津・丸根の砦に攻めかかった事を聞いた織田信長は、一節謡ながら舞うと、猛然と出陣したと言われています。

 実はこの謡は「幸若舞・叉は(曲舞・くせまい)」と言う、室町時代から流行しはじめた伝統芸能で演じられる作品「敦盛」の一節なのです。

作品「敦盛」から読み解けることはこの時代の平均寿命は約50歳であったらしいということです。。

しかし現代では
日本人の2014年の平均寿命は男性80.05歳で世界第3位、女性はなんと86.83才で世界第一位なのです。

日本人の男女は平均八十歳までは生きながらえるようになりました。

目出度し、めでたし。

でもね♪~

今や長寿国となった日本人の関心事の一つは単に健康であるだけではなく「健康寿命」と「健康美ボディ」にあるといっても過言ではありません。

しからば健康とは何か。

「健康とは身体的,精神的,社会的に完全に良好な状態(WHOによる).  」と定義されている。


【健全なる精神は健全なる身体に宿る】(けんぜんなるせいしんはけんぜんなるしんたいにやどる)という言葉がある。
【健全なる精神は健全なる身体に宿る】とは『精神と身体は互いに関係があり、身体が健全ならば、精神も健全である』と通常解釈されている。

A sound mind in a sound body.

しかしながら通常訳は現代では不十分である。
なぜなら、「体が不自由ならば健全な精神とはならないのか」という反論も生じるからです。

私は学者でも、訳詩家でもありません。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というフレーズを自分の座右の銘にするにはどう解釈するのが良いかと考えるわけなのです。

そこでハムレットは悩むのです。「To Be or Not to be」

“To be, or not to be : that is the question.”
ええやろか?、あかんか?、ほな~、どないしょ♪~{関西弁的訳}

現代の諸事情を鑑みて
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というフレーズは
「心と体のバランスを保つことが健康につながる」と訳すのが最も適切ではないでしょうか。

(筆者の最新現代語意訳)

何事もバランスが大切です。

腹八分目、宇宙船地球号は広大な宇宙の中飛び出しもせず太陽系の中にバランスよく回り続けているではあ~りませんか。(多少、環境のバランスは崩れかかってはいます。)

ということで「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というフレーズは「心と体のバランスを保つことが健康につながる」と訳し、バランス理論の提案という風に解釈し、自己の健康ライフに役立ててみることにしましょう。

一件落着。めでたし、目出度し。


※参考付録
【健全なる精神は健全なる身体に宿る】は

ユウェナリスの「風刺詩集」の一部が訳されて広まった言葉。
〔原詩の中での意味は「人は神に、健全な身体に宿った健全な精神を与えられるように祈るべきだ」である〕

★デキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis, 60年 - 130年)は、古代ローマ時代の風刺詩人、弁護士である。彼が残した詩は痛烈で、現実を些か誇張し歪曲した表現がよく用いられている。
代表作は、16篇からなる『風刺詩集 (Satvrae) 』。その中で「健全なる精神は健全なる身体(しんたい)に宿る」や「パンとサーカス」などの言葉が用いられている。

“orandum est, ut sit mens sana in corpore sano”

けんぜんなるせいしんはけんぜんなるしんたいにやどる【健全なる精神は健全なる身体に宿る】
一般には「健全なる精神は健全なる身体に宿る」(A sound mind in a sound body) と訳され、「身体が健全ならば精神も自ずと健全になる」という意味の慣用句として定着している。しかし、これは本来誤用であり、ユウェナリスの主張とは違うものである。

そもそも『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ挙げ、いずれも身の破滅に繋がるので願い事はするべきではないと戒めている詩である。ユウェナリスはこの詩の中で、もし祈るとすれば「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」(It is to be prayed that the mind be sound in a sound body) と語っており、これが大本の出典である。

以上の背景から、単に「健やかな身体と健やかな魂を願うべき」、つまり願い事には慎ましく心身の健康だけを祈るべきだという意味で紹介されることがあるが、それも厳密には誤りである。

健全な精神については数行に渡って詳細に記述されており、ユウェナリスがローマ市民に対し誘惑に打ち克つ勇敢な精神を強く求めていたことが窺える。

その後しばらくは本来の正しい意味で使われていたが、近世になって世界規模の大戦が始まると状況は一変する。ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄しながら、軍国主義を推し進めた。

その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなった。

現在は冷戦も終わり軍国主義を掲げる必要がなくなったことや、解釈によっては身体障害者への差別用語にもなりかねないことから、多くの国では身体と精神の密接な関係とバランスを表す言葉として使われている。